2025年夏、甲子園で強烈な存在感を放った日大三高のエース、近藤優樹(こんどう・ゆうき)投手。
その力強い投球と勝負度胸で観客を魅了する一方、SNSや一部のネット掲示板では「態度が悪い」「マナーに欠ける」といった声も浮上しています。
高校野球という特有の文化の中で、なぜ彼の振る舞いが“問題視”されたのか? そして本当に彼の態度は非難されるべきものだったのか?
本記事では、事実とネットの反応、そして選手本人の言葉をもとに、「近藤優樹=態度が悪い説」の真相を掘り下げていきます。
批判の出発点:ピンチで笑う姿に「ふざけている」との声
最初に注目が集まったのは、甲子園での県岐阜商業戦。
この試合で近藤選手は、相手の主軸バッターである横山選手との勝負の場面で、ふっと笑みを浮かべる様子を見せました。
これに対して観客やネットユーザーの一部から、
- 「相手を見下しているように見えた」
- 「あの場面で笑うなんて、失礼じゃないか?」
- 「真剣勝負の場にそぐわない態度だ」
といった反応が噴出。SNSでは「マナー違反では?」と拡散され、炎上に近い状況となったのです。
しかし同時に、「それくらいの気持ちの余裕がなければ、マウンドで投げられない」「ピンチで笑えるのはむしろすごい」といった擁護意見も多数投稿され、賛否が真っ二つに割れる形となりました。
本人の説明:「笑顔」はふざけていたわけではなかった
批判が続く中、近藤投手本人がインタビューで語った内容は、やや意外なものでした。
「昨年の秋季大会では、応援に圧倒されて何も見えなくなってしまった。だから今年は、どんな場面でも“自分らしくいること”を心がけた」
つまり、**笑顔はプレッシャーに打ち勝つための“自分なりの戦い方”**だったというのです。
高校野球のような大舞台では、極度の緊張状態に陥る選手も多くいます。近藤選手は、過去の反省を活かし、あえてリラックスした表情を作ることで、冷静さを保とうとしていたのです。
このようなメンタルトレーニング的アプローチは、むしろ現代的かつプロフェッショナルな発想とも言えるでしょう。
高校野球に根付く「美徳」とのズレが反発を招いた?
近藤選手の行動が批判された背景には、日本の高校野球に根付いた“伝統的価値観”があるとも指摘されています。
高校野球では、以下のような所作や態度が美徳とされがちです:
- プレイ後の礼儀正しい一礼
- 勝敗に関係なく感情を表に出さない
- 無言で全力疾走、規律正しさが最重視される
このような“清廉さ”が求められる中で、ピンチで笑顔を見せるという行動は、「ふざけている」または「軽く見ている」と受け止められやすかったのかもしれません。
ただし、これは世代的・文化的な価値観の違いでもあり、一概に選手のマナーが悪いと断定することはできません。
成功の裏にある「秋の苦い失敗」からの成長
近藤優樹選手が「今のスタイル」に辿り着くまでには、苦い経験がありました。
2024年秋の都大会準々決勝、二松学舎大付属高校との試合では、彼は大量失点を喫し、コールド負けという悔しい結果を味わっています。
彼はこの試合について、
「応援に呑まれてしまい、自分のリズムが完全に崩れた。景色も音も全く入ってこなかった」
と振り返ります。
その挫折から、「自分のペースで投げきる」「応援を味方につける」「どんな場面でも自分を保つ」という意識改革が行われ、現在のような笑顔でマウンドに立つ姿へとつながったのです。
単なる“ふてぶてしさ”ではなく、努力と苦悩の末に生まれた新しい自分の戦い方だったというわけです。
海外との比較:感情表現は悪か?それとも武器か?
メジャーリーグなどを見ても分かるように、海外の野球文化では感情表現がプレースタイルの一部と捉えられています。
投手がガッツポーズを見せたり、ホームラン打者がバットを放り投げる(いわゆる“バットフリップ”)のも当たり前です。むしろ、その姿勢が観客を惹きつける要素にもなっています。
この視点から見ると、近藤選手の振る舞いは「態度が悪い」というよりも、個性や自己表現の一部であり、単に日本の高校野球の価値観とは異なるというだけの話とも言えるでしょう。
一方で、「伝わり方」の難しさも無視できない
ただし、どんなに意図が善意であったとしても、それがどう受け取られるかは別問題です。
Yahoo!知恵袋などでも、
- 「あの態度が流れを乱した」
- 「チームメイトに悪影響を与えたのでは?」
- 「対戦相手への敬意が感じられなかった」
という批判が少なからず見られました。
団体競技である野球においては、“自分のスタイル”と“周囲への配慮”のバランスが求められます。
今後、彼がより高いステージへ進む際には、「どう見られるか」も含めて自分の表現を磨いていく必要があるかもしれません。
結論:「態度が悪い」ではなく「理解が追いついていないだけ」?
甲子園での近藤優樹投手の態度をめぐる議論は、まさに**“価値観の転換期”を象徴している**とも言えるでしょう。
彼のふるまいは、決して軽率なものではなく、過去の失敗を乗り越えた末に生まれた“新しいスタイル”でした。
しかしそれが、従来の「高校野球の理想像」とずれていたために、「態度が悪い」と誤解された部分があるのです。
価値観が変わりゆく時代、私たち観客にもまた、“多様な在り方”を受け止める懐の深さが求められているのかもしれません。
おわりに:観客と選手の“関係性”が変わり始めている
高校野球は、プレーヤーが主役でありながら、観客や社会からの視線が強く注がれる特殊な競技です。
だからこそ選手の一挙手一投足が議論を呼び、「ふるまい」一つで評価が激しく分かれることもあります。
しかし、選手自身も一人の人間であり、自らの弱さを知り、それとどう向き合うかを試行錯誤していることを忘れてはなりません。
今後も、近藤優樹のように“自分らしい野球”を追求する選手が増える中で、私たち観客の側も、「多様な勝ち方・戦い方」に対する理解とリスペクトを深めていく必要があるのではないでしょうか。
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