新宿・歌舞伎町の片隅に、誰にも言えない悩みを抱えた人たちが“駆け込む”場所がある。その名も「日本駆け込み寺」。
長年、社会から孤立した人々の“最後の避難所”として存在してきたこの団体の代表に、2025年4月、26歳の女性が就任した。彼女の名前は清水葵(しみず・あおい)。
この記事では、彼女の複雑な家庭環境、学生時代の苦悩と成長、社会に出てからの挫折、そして「日本駆け込み寺」代表となるまでの歩みを、ノンフィクションタッチで丁寧にたどっていく。
■ 清水葵の基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 清水 葵(しみず あおい) |
| 生まれ年 | 1999年 |
| 年齢 | 26歳(2025年現在) |
| 出身地 | 京都府 |
| 学歴 | 龍谷大学経営学部卒業 |
| 現職 | 公益社団法人 日本駆け込み寺・代表理事 |
■ 血のつながりに悩んだ中学生時代
清水さんの人生は、いわゆる“普通”とは少し違っていた。中学生のとき、親からこう告げられる。
「私たちは里親で、あなたとは血がつながっていないのよ。」
突然明かされた事実に、彼女は衝撃を受けた。自分が“特別な存在”であることを知ったその瞬間から、心に壁ができ、家族との距離が遠のいていった。
家庭での違和感とともに、学校でもいじめが始まる。部活動では仲間外れにされ、次第に登校する意欲を失っていった。両親に対しても反抗的な態度を取り、日々をやり過ごすように過ごしていたという。
■ 高校で出会った“世界の広さ”が価値観を変える
高校では英語コースに進み、1年生のときに2週間のオーストラリア研修に参加する。これは、彼女の人生において大きな転機となった。
現地で目にしたのは、先進国の中にも確かに存在する貧困と格差。経済的に困窮しながらも懸命に生きる人々を見たとき、自分の家庭環境への不満がいかに狭い視野であったかに気づかされた。
「私はもっと広い世界を知らなければならない。もっと多くの人の役に立ちたい。」
この経験をきっかけに、彼女の中で“自分の痛み”から“他人の苦しみ”に目が向き始めた。
■ 大学での活動|ネパール、災害支援、子どもたちの未来のために
進学先に選んだのは、京都にある龍谷大学経営学部。高校で芽生えた「社会に貢献したい」という思いを、具体的な行動に移したいと考えた。
1年生の春には、ボランティア団体に参加し、ネパールの山村で教育支援活動を行う。異国の地で子どもたちと触れ合い、言葉や文化の壁を越えて“人と人”としてつながる経験を得た。
以降、清水さんは災害救援、地域活性化、環境保全、児童養護施設での学習支援など、幅広いボランティア活動に精力的に関わっていく。大学3年時には、所属サークルの支部長も務めた。
「誰かのために時間を使えることが、自分の居場所になる。」
そう実感できたことが、後の彼女の人生の“核”となる。
■ 就職、そして理想とのギャップに直面
大学卒業後、子どもと地域のつながりを支える仕事をしたいと考えた清水さんは、保育園を複数運営する企業に就職。総合職として採用され、若くしてエリアマネージャーにも抜擢された。
しかし、現場で待っていたのは理想とはほど遠い現実だった。
彼女が望んでいた「親子を支える」仕事は、職員間のトラブル処理や内部調整がメイン。やりがいを感じることができず、次第に疲弊していく。やがて、彼女はこの道を離れる決意を固める。
2023年6月、退職。
その後は、単発バイト(タイミーなど)をこなしながら、将来に対する不安と向き合う日々を過ごしていた。
■ 歌舞伎町の片隅で出会った“居場所”の再定義
そんな中、転機が訪れる。知人から紹介されたのが、**新宿・歌舞伎町を拠点とする「日本駆け込み寺」**だった。
設立から20年以上にわたり、DV被害者、ストーカー被害者、自殺志願者、ホームレスなど、社会から孤立した人々の支援を続けてきた団体である。
清水さんは紹介されたその日に代表理事に会い、彼らの活動内容や理念に強く共鳴。
「この場所を守ることで、自分自身の居場所を作りたい」
そう思い、その場で就職を志願。タイミングよくポストが空いていたことから、2023年10月に入社が決まった。
■ “次期代表”という重責|それでも前を向く理由
入社から1年足らず。2024年11月、清水さんに想像もしなかった話が舞い込む。
創設者・玄秀盛氏の退任とともに、新たな体制を築くため、清水さんに代表理事就任の打診があったのだ。
26歳。経験も人脈も資金も乏しいなかで、誰かの“最後の逃げ場所”を背負う重圧は計り知れない。
しかし彼女は、それを引き受けた。
「この場所を、絶対に無くしてはいけない」
2025年2月に正式な合意書を交わし、同年4月1日より清水葵は「日本駆け込み寺」第2代代表理事としての新たな人生をスタートさせた。
■ 現在の苦悩と挑戦|“守る”ではなく“広げる”へ
前任者の不祥事により、補助金は打ち切られ、寄付も激減。財政は常にギリギリ。活動資金を得るため、清水さんは街頭に立ち、イベントを企画し、SNSで発信するなど、あらゆる手段で資金繰りを行っている。
一方で、夜の歌舞伎町をパトロールし、路上生活者や家出少女たちと会話を交わす日々も続く。
最近では、若い女性が「ここに来ると安心する」と語り、次第にボランティアとして活動に参加するようになったという。助けを求める側が、今度は誰かを支える側へと変化していく。この小さな変化こそ、清水さんの願いそのものだった。
■ 清水葵が描く未来|誰もが逃げ込める“本当の居場所”を
清水葵の行動理念はとてもシンプルだ。
「誰かが困ったときに、“あそこに行けばいい”と思える場所を残したい。」
彼女自身が、人生のどこかで“居場所”に迷い、悩んできたからこそ、その言葉には説得力がある。
社会的なセーフティネットが追いつかない今、清水さんのような存在が、誰かの命を救っているのかもしれない。
まとめ|清水葵の人生は、誰かの光になっている
血のつながりに悩んだ幼少期
いじめに苦しんだ中学時代
世界に触れた高校時代
社会課題と向き合った大学時代
理想と現実に挫折した社会人生活
そして、今。
清水葵さんは、すべての経験を背負いながら、今日も誰かの“駆け込み先”として笑顔を向けている。
彼女の物語は、特別なようでいて、実は私たち誰もが“心のどこか”で求めているものなのかもしれない。

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